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知ると歩きたくなる!成田山表参道の裏道「新道通り」の歴史

観光客のみなさんのほとんどは、成田山新勝寺への向かうのに表参道を利用します。表参道を歩くのがやはり店舗数も多く、賑わいも最も感じられるルートであることには間違いありません。
しかしその裏道にあたる「新道通り」も数奇な運命をたどり、いま新しい芽吹きの時期を迎えているのをご存知でしょうか。
成田を訪れるのであれば知っておくともっと楽しくなる、そして歩きたくなる「新道通り」の歴史とこれからについて、ご紹介いたします。

新道通りは、かつては華やかな歓楽街だった!

明治30年に錦糸町~成田間の鉄道が開通すると、江戸の頃より人気が続いていた成田山への参詣客も日毎に増えていき、参道界隈にはお土産物屋や宿屋などが急増しました。*(1)
その頃の新道通りはというとまだ畑や藪で、成田山の参拝客が通る道としては成立していませんでした。*(2)
現在の新道通りは、権現山の裾野にあたります。

権現山は今は面影がわずかにしかありませんが、JR成田駅東口を出てすぐ、交番向かって左側にある「権現広場」がその山頂で、いまも地域の方の参拝の対象となっています。

大正期から昭和にかけて徐々に成田山への抜け道として整備され、店舗が立ち始め、昭和13年の鳥瞰図にはその発展が描かれています。

昭和20年には歓楽街の発展はピークを迎えます。新道通りには「花咲館」という映画館ができるまでとなり、華やかな裏通りだったようです。また、第二次世界大戦の戦火がせまるなかで一般人の観光ができなくなった時にも軍人の出入りは続き、新道通りの飲み屋は営業していました。*(3)

花咲町の大火

新道通りのある花崎町は、現在は「花崎町」と書きますが、当時は「花咲町」という漢字を当てていました。
その花咲町にもっとも大きな変化が起きたのは、昭和20年5月の大火です。
5月9日23時ころ、参道沿いの居宅の失火が原因で火災が発生。戦時中で消火に必要な水が十分に供給できなかったこと、そして新道通りが3メートルもない道幅だったことなどが重なり、最初は1戸だけの火災に思われた火は、翌朝までに184戸を消失する大火災となりました。*(4)(5)

※成田市史叢書第2集 「市民が語る成田の歴史」p147-148に加筆


幸い死傷者はいなかったものの、この大火によって新道通りはほぼすべてが消失となってしまいました。

戦後、映画館が2つもオープン

戦後、火災からの復興は徐々に進み、昭和21年には成田東清劇場(昭和26年成田映劇に改名)*(6)が、昭和30年には成田新映が開館*(7)し、2つの映画館を有する町並みとなりました。
昭和42年ころには銭湯などもあり、所狭しと店舗が並ぶ道でした。

徐々に駐車場が目立ち始め、車の抜け道に…

しかし昭和44年には、映画産業の斜陽化に伴い2つの映画館は廃館。その後にボーリング場ができるものの、長くは続かなかったようです。
昭和50年ごろになると、新道通りは参拝客向けというよりは住民の生活に寄り添った町並みに変わっていき、食料品店や美容室などが出店*(8)。それも人通りの減少により徐々に建物が駐車場へと変わっていきました。
そして平成15年の「なかよしトンネル」開通により、新道通りは車の抜け道と使われるようになっていきました。

新道通りの新しい芽吹き

そんな数奇な運命を辿った新道通りですが、空き店舗が多いということを逆手に取って、続々とユニークなお店がオープンしてきています。

元お蕎麦屋さんを改装した、身体に優しいメニューがいっぱいの和カフェ「はしらカフェ」。

本格的で多種多様なスパイス料理を楽しめる「スパイスバルSeeds」。

新道通りを語る上で外すことのできない名店「カクテルバー東洋」。

石窯焼きピッツァをはじめとした本格イタリアンが楽しめる、イタリアンレストラン「ヴィネリア」。

「こよ肉」の相性で親しまれる、世界の肉料理とワインをいただける「今宵、成田で世界の肉料理とごほうびワインを」。


そして最近、新たに登場したのが「Meets!プロジェクト」。 新道通りの元お肉屋さんを中心とした舞台で、仮称「新道広場」を作ったり、テナントを募集したりなど、旅行客を呼ぶ取り組みを進めています。

これからの新道通りにも目が離せません!

出典:
(1)米屋の歴史 2024/01/26閲覧
(2)成田市史叢書第2集 「市民が語る成田の歴史」 p149-150地図にて確認
(3)成田市史叢書第2集 「市民が語る成田の歴史」 p146
(4)成田市史叢書第2集 「市民が語る成田の歴史」
(5)広報なりた 市内最大の火災「花咲町の大火」 2024/01/26閲覧
(6)『ふるさとの想い出写真集 明治・大正・昭和 成田』p106
(7)『明治・大正・昭和 成田の歴史アルバム』p164
(8)『新道しんみち・新々道しんしんみちを歩く!』 2024/01/26閲覧

 

  2024/01/31