成田といえば、成田山新勝寺を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、見どころは新勝寺だけではありません。成田には、訪れる方々をおもてなししようと活動している人達も沢山いるので、ぜひ彼らのことも知っていただきたいのです。
ここでは、そんな彼らを「ナリタノヒトビト」としてご紹介します!
今回のゲストは、新道通りのカクテルバー「東洋」のマスター、龍崎剛輝さん。「東洋」は夜の成田の魅力を語るのに外せない、旅人や地域の方に長く愛されている名店です。そんな東洋のマスターが見てきた成田の変遷と、現在、そして今後の活動について、詳しくお話を伺いました。
ー現在の活動内容をお聞かせいただきたいのですが、やはりバーのマスターとしてのご活動が中心でしょうか。ー
そうですね。あとはお茶とお花の先生もしているし、花崎町第3区の区長を10年間務めました。また、成田地区区長会の会計を現在も務めています。
ーお茶は表千家茶道教授、お花は華道家元池坊生花教授などの肩書きをお持ちです。ー
お茶とお花はうちの2階で教えてます。お茶は、難しいお点前やりたい人はいないから、気楽に来ている人だけ。お花のほうは高度なことまで教えています。
ー改めて経歴をお聞かせください。ー
1941年生まれで、戦前ですよ。この通りで生まれました。
昭和20年の5月9日から10日にかけて、成田は大火になったんですよ。駅から長命泉さんのあたりまでずっと燃えちゃって。空襲じゃなくて、失火だったのですが。この新道通りをなめ上がっていって、警察署のほうまでいって。そして反対側まで移って、表通りの長命泉さんのところまで。
私はちょうどうちにはいなくて、佐原の大戸にある谷中温泉っていう鉱泉の沸かし湯のところがあって、湯治に行っていたんだけど、朝早く鉄道所に勤めていた親戚の人が、貨物列車の一番で知らせに来てくれて。それで成田に帰ってきたら、家も何もない。
でも住むのには困らなかったんですよ。もう1軒囲護台のほうに家があって、半年くらいそっちに住んで。9月か10月頃にここに戻ってきました。
その間に終戦になっちゃったから。あの玉音放送は防空壕の中で聞いてるんですよね。ラジオの前に正座させられた記憶があります。
ーそこからバーのお仕事をするのが18歳のときと伺っています。ー
18歳の年、昭和34年の12月24日にバーをオープンしました。高校を出たのが昭和35年。それから4月の半ば過ぎからバーテンダースクールに通い始めました。
たぶん成田でバーテンダーの学校に行ったのは私が第1号だと思います。
ーなぜバーをやられようと思ったのですか。ー
映画の影響なんですよね。日活の映画、小林旭とか石原裕次郎とかの映画にバーのシーンが出てくるんです。それで、この建物の建て直しのときに、食堂の小上がりの2部屋をバーにしちゃったんですよね。
最初は何も知らないから、東京からママさんとバーテンさんに来てもらって開けてたんだけど、その人達も長くいられないというので、バーテンダースクールに通い始めました。六本木まで通ったんですよ。当時は地下鉄がないから、青山一丁目か虎ノ門か新橋から路面電車で。アマンドの裏手のほうに学校がありました。
それから64年になりますね。
ーもう半世紀以上になりますね。印象的なお客さんはいらっしゃいますか。ー
最初はJALさんが来て、だんだん馴染んだころに全日空さんが来て。いろいろな会社の方が来てくれるようになりました。
印象に残っているのはキャプテン(機長)、3人ばかりが20年以上来てくれたんですよね。アメリカと、カナダと、オーストラリアの航空会社の人なんですけど。ずっと来てくれていました。リタイヤするときも挨拶に来てくれて。
「あぽやん」のドラマの撮影地にもなったんですけど、本を作る前に作者がうちに来て、書いていいですか?って。一向に差し障りありませんよって言ったら、書いてくれて、サイン入りの本を持ってきてくださった。
まあ、いろんな人がいましたね(笑)
ー個人的にマスターが好きな成田のスポットを教えてください。ー
成田山公園は大したもんですよ。半分人工でこしらえたにはものすごく自然なんですよね。
あれは1000年祭の前に大改修して作り変えてると思うんですが。昔は動物園もありましたし、書道美術館の前の三ノ池にはボートもあったんですよ。
ーこれから未来に向けてどう行動していかれるご予定ですか?ー
特別に肩肘張ってこうしたいってわけじゃないんですが、自然体でいたいっていうのと、来る人達にとっては心ゆくまで気分のいい町でいてもらいたいなと思いますよね。
バーはこの前市長にも言われたんですけど、体力的に続けられるだけやろうかなと。いつまでできるかはわかりませんけれども(笑)
ー最後に、みなさんにメッセージをお願いします。ー
成田は治安も安心だと思います。わりと物をなくしても出てくるし。
坂の多い街ですけど、そこを逆に楽しんでほしいです。私は逆に平らな町に行くと、なんでこんな平らなんだってびっくりしましたけどね(笑)